ブランディング

消費社会からミニマリストが増える社会に変わる経済

断捨離やミニマリストとうい言葉を知ってしばらく経ちますが、あまり興味をもてなかったのは私のイメージが、

「ミニマリスト」=ヒステリックな物欲否定主義者

というような極端なものだったからです。

極端なライフスタイルを取り上げたメディアを見たことが原因でしょう。

ところが最近、ミニマリストという本当の意味がわかり、窮屈な「痩せ我慢」ではないんだなということがわかってきました。

というより、これからの未来を切り開くコツのようなものがそこにあるような気さえしてきました。

その理由は、2つです。

買うのを我慢するのではなく「選ぶ」ことを大切にする

大量消費社会では、他人と比較した幸せの基準がありました。

住んでいる地域や合格した学校のレベル、結婚相手の「高さ」がいつくあるかで3高が望まれた時代は、今となっては遠い昔話です。

そうして結婚式の華やかさや、もらった指輪の金額、新居のグレード、子供の容姿に始まり身につける洋服から教養までありとあらゆるものが人との比較で優劣がついたものでした。

勝つことはできなくても、せめて人並みに、とあらゆる視点に人からの目線に価値を委ねているような生活様式です。

そういった、小さな競争が、そこかしこに存在している時代から、今まさに抜け出すときが来ています!

他人からの判断ではなく、自分が人生において何を大事にしているのかを明確にし、そこに集中してお金を使っていくというのがミニマリストです。

つまり、自分は自分の人生をどうしていきたいのかが問われる時代がやってきました。

世捨て人になって欲望を否定するのではなく、自分の欲望がどこにあるのかを明確にするのが、ミニマリストの醍醐味なのだとようやく私も理解しました。

ゴミが減る

わたし自身が、自分軸がない生き方をしてきたので、デパートに行くとあれもこれも欲しくなったり、買えないとほかの人の生活と比較して落ち込んだりしがちです。

それをバネに頑張って仕事をして、たくさん買い物をしたけれど、あとになって後悔したことも数知れません。

冷静に考えてみたら、そんなものは自分にとっては必要なかったのです。

本当はほしくない、理想の自分の姿とは程遠いものなのに、欲望にかきたてられてきました。

その理由は、自分がどういう風に生きていきたいのかがわかっていなかったからです。

わからないから、消費社会に乗るしかなく、それでも満たされない気持ちのまま漂っていました。

逆に欲望から離れ、これ以上環境を汚したくない、と極端に物を使わない生活をしていたこともありました。

けれど、そうした現状否定からくる生活は、理想どころか否定まみれで暗黒の時代でした。

表面は元気いっぱいで、活動が過剰なのですが、その分、周囲にもトゲトゲしいナチュラリストだったなあと苦々しく過去の自分を思い出します。自分の正しさを周囲に押し付けるような痛い人でした……。

消費を悪としてしまったら、生きている人ぜんぶの否定につながります。それは辛いですよね。

あるとき「ゴミも循環していれば大丈夫だ!」と気がついてから、普通に消費生活が送れるようになりました。

最近は、法律で買い物袋が有料化され、時代はゴミを減らす意識が普通になってきました。

無闇に物を購入して部屋を埋め尽くすのではなく、必要なものを必要なだけ買う暮らしが、ゴミを産まないライフスタイルが普通になりつつあるのなら、好ましいことです。

一方でこのままでは、経済が縮小していくという危機感ももたれているようですが、それよりも価値あるものをどれだけ生み出せるかの方が大切になってきています。

「モノ売りではなく、コト売り」ということも言われていますが、それは物やサービスの価値を上げて、本当に必要な人が正当な対価を払い経済を回していくということなのでしょう。

マスに向けて、欲望を駆り立てるようなマーケティングではなく、大切にしている価値観を伝えて必要な人に必要なモノとサービスを売っていく社会の始まりです。

一人一人が自分の価値観を明確にし、価値を感じるものを選択していく社会へ

若いころは、環境を破壊する経済活動に一生懸命になることを否定していました。

ところが、今は価値あるものを届けることで、幸せな人が増えるのだという価値観に変わりました。

お金を稼ぐことよりも、人の心の幸せを援助したいと思って対人援助職を目指していましたが、今やっていることも同じです。

人の心を幸せにするのは、ライフスタイルを変えることです。

幸せな物やサービスの交換を援助できるよう、経済活動を満喫していきます。

関連コラム